丹羽 氏重
丹羽 氏重(にわ うじしげ、永禄12年(1569年) - 天正12年4月9日(1584年5月18日))は、戦国時代の武将。徳川氏の家臣。丹羽氏勝の子、丹羽氏次の弟。通称、次郎助、次郎三郎。尾張国傍示本城主。
生涯
氏重は小牧・長久手の戦いで徳川家康に従軍、出陣した兄丹羽氏次に代わって尾張国・岩崎城を守衛。
痘瘡(天然痘)を患っていたが、豊臣秀吉軍・池田恒興らが率いる三河奇襲部隊が城の前を通過すると「見過ごすは末代までの恥」と200の兵で出撃し、池田軍の攻城隊を三度に渡り撃退するなどよく戦ったが、新手として現れた森長可軍の銃撃に怯んだ隙に討ち取られた(岩崎城の戦い)。享年16。
法名は常英。
|