蜷川 親世
蜷川 親世(にながわ ちかよ)は、戦国時代の武将。
略歴
蜷川氏は代々足利将軍家に仕え、室町幕府政所代を務めた。
父は蜷川親順。姉妹は斎藤利賢の妻で明智光秀の家老斎藤利三の母。 初名は親俊。通称は蜷川新右衛門尉、官途は大和守。
生涯
蜷川親順の長男として生まれる。
13代将軍足利義輝に仕え、丹波国船井郡桐野河内を領して蟠根寺城に拠ったが、永禄8年(1565年)義輝が松永久秀に討ち取られ、親世は所領を失い没落。
出羽国寒河江の高松左門を頼って落ち延び、出羽国村山郡金谷原で永禄12年(1569年)11月14日に失意のうちに亡くなり、金谷原の土佐林に葬られた。
法名は道哉。親世の墓は土佐壇と呼ばれている。 「蜷川親俊日記」を遺す。
長男の蜷川親長は土佐国の長宗我部元親、後に徳川家康に仕え、子孫は旗本となった。
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