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 群雄割拠  戦国武将伝
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 本多 忠政

 本多 忠政(ほんだ ただまさ)は、江戸時代前期の大名。伊勢桑名藩第2代藩主。後に播磨姫路藩初代藩主。忠勝系本多家宗家2代。

 天正3年(1575年)、徳川家康の重臣(後に桑名藩の初代藩主となる)・本多忠勝の長男(第3子)として生まれる。

 天正18年(1590年)の小田原征伐に初陣する。

 慶長5年(1600年)の第二次上田合戦にも従軍、慶長14年(1609年)6月に父が隠居したため、家督を相続して桑名藩の第2代藩主となる。大坂の陣にも参加し、数々の武功を挙げている。なお、冬の陣の休戦和議締結で大坂城の堀を埋め立てた際、埋め立て奉行を松平忠明達と担当している。戦後には、それらの功績を賞されて、元和3年(1617年)7月14日に姫路城主となって15万石を領した。

 なお、忠政の妻は家康の長男・松平信康の次女・熊姫である。また、忠政の嫡男・忠刻の妻は豊臣秀頼の妻だった千姫である。

 しかし、寛永3年(1626年)に早世したため、忠政が寛永16年(1631年)に死去した後は次男の政朝が継いだ。享年57。

 

 
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