久武 親直
久武 親直(ひさたけ ちかなお、生没年不詳)は日本の安土桃山時代の武将。長宗我部氏の家臣。通称内蔵助、幼名彦七。
概要
父は肥後守昌源で、兄は久武親信。兄は長宗我部元親に対し、「自分が戦死しても、御家の害になるので弟に後を継がせないように」と伝えていた。
1579年(天正7年)兄の死後、家督を継ぐ。1584年(天正12年)の秋、伊予軍代に任命される。
同年9月11日、伊予深田城を攻略した。
1586年(天正14年)長宗我部信親の戦死で家督相続問題が起こると、元親の四男・長宗我部盛親を支持し、反対派の吉良親実・比江山親興に対しては元親に讒言して粛清した。関ヶ原の戦いの後は、主戦論を抑えて盛親に徳川家康への恭順を勧めた。しかし、同時に盛親の兄の津野親忠を殺すように進言したため、盛親は兄殺しを家康にとがめられて改易された。
その後は肥後の加藤清正に仕えたという。
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